認知=自分用の信念メガネ

認知=私たちが周りの世界をどう見てどう解釈しているか?ということ。

私たちはそれぞれに「自分用のメガネ」をかけ、それを通して世界を見ている。  
情報は同じでも認知は人によって様々な解釈の仕方がある。
自分用のメガネはいつでもかけているので、それが普通、標準だと思い込んでしまう。

外の世界である事柄が起こる。
それを目で見たり、耳で聞いたり、手で触れたり、下で味わったり、鼻でかいだりし、
それらが感覚情報として入ってくる。 
その情報を処理するのは、頭の中の脳の仕事になる。
これは何だろう(認知)と考え、
どうすれば良いのか(思考)を考えて、
ではこうしよう(決断)と判断する。
そのあとに筋肉を動かして行動する。

それぞれがかけている自分用メガネは多かれ少なかれ歪んだもの。なぜ歪むのか?
私たちは1人ひとりが信念を持っている。
世界はこういうところだ。他の人たちはこういうものだ。
世界を解釈し、意味づけるためにはその土台として、何らかの信念が必要となる。
この信念は認知、思考、決断のすべてにおいて影響を与える。
その信念を持った自分用メガネをかけたままで世界を見ている。
なので私たちは『ありのまま』に世界を見ているわけではない。
メガネ取り替えることは可能だ。しかし取り替えようとはしない。
なぜなら自分の信念を長い期間に渡って育ててきたから。きっぱりと捨てるのは難しい。
信念メガネを強制的に変える方法が「洗脳」。
苦しい修行、拷問に近いことをさせて思考や判断することをできないようにする。
そこで新しいメガネをかけさせる。これが洗脳の原理。

信念メガネを取り替えるのは難しいが、自分が見る世界は常に信念メガネを通して見ている。
自分が見ている世界が必ずしも正しいものではない。という自分の信念を柔軟にしていくことは可能である。

自分だけに通用するルールや論理をそれぞれの人が持っている。
私的論理=private logic (あくまでもその人だけに通用するルール)、
それを相手にまで適用しようとするとトラブルになる。相手も同じように私的論理を持っているから。
私たちが時間と労力をかけて言葉を学び、言葉が使えるようになる目的はコミュニケーションをとること。
私的論理だけで生きると、信念メガネをかけて自分の好きなように世界を見るだけ。
他者とコミュニケーションをして共通の感覚を身につけることによって、
他の人がどのように世界を見ているのかを知ることができる。
それからお互いに合意できる世界の見方を作っていくことができる。